日本語のラブソングは、歌詞の中で語っている人と相手が誰なのかを、しばしば書かない。書かれていない部分がどれくらい大きいのかを、321曲を使って測った研究の話。
日本語の歌詞は主語をよく省く。「会いたい」「君だけを見ていた」——誰が誰に言っているのかは、書かれていない。
書かれていないものは、そのままでは数えられない。そこでこの研究は、書かれていないことを利用しなければ成立しない読み方を二つ用意して、それが成り立つかどうかを調べた。化学で、目に見えない物質を調べるために試薬を垂らすのと同じ発想である。
ただし向きが逆の試薬である。ふつうの試薬は反応が出れば何かがあると分かるが、この二つは何も起こらないこと——妨げる語が見つからないこと——が答えになる。
二つの試薬
語り手と相手を、一緒に育った実の兄と妹として読む。歌詞に「出会った瞬間」が書かれていれば成り立たない。一緒に育った二人に、出会いの場面はないからである。
語り手と相手を、どちらも女性として読む。「俺」「彼氏」のように性別が出る語があれば成り立たない。
注意したいのは、この研究が「その曲がそう作られた」とも「聴き手がそう聞いている」とも言っていないことである。言っているのは、歌詞の側にその読みを妨げるものがない、という一点だけである。
1曲ずつ、二つの読みそれぞれについて5段階で判定する。段階を押すと定義が出る。
判定は大規模言語モデルにやらせた。理由は二つある。321曲を24通りの条件で判定すると7,704件になり、人手では現実的でないこと。そして条件を揃えた判定役を何通りも作れるので、判定が条件に左右されているかどうかを同時に測れることである。
なお、言語モデルなら必ず一貫した判定をする、という前提には立っていない。実際には同じ条件で作った判定役どうしでも判定は揺れる(結果6)。24体を用意して常に集計として扱うのは、その揺れを平すためである。
ただし1種類ではない。4種類のモデル × 考えさせる手間3段階 × 各条件に2つずつで、合わせて24通りの「判定役」を用意した。「考えさせる手間」とは、答えを出す前にどれだけ長く考えさせるかの設定で、じっくり・ふつう・手早くの3段階である。以下ではこれを24体と呼ぶ。条件を変えて並べたのは、判定が使ったモデルや設定に左右されていないかを同時に測るためである。
この24体には、さらに3種類の聴き手像を割り当てた。雰囲気で受け取る人、物語の人間関係を読み慣れた人、言葉を精読して根拠のない解釈を警戒する人の3つである。これは掛け算の4つ目の要因ではなく、24の枠に配る形をとった。どのモデルにも3種類が均等に行き渡るよう配ったので、「このモデルだけ特定の聴き手像に偏っていた」ということが起きない。
24体には曲名も歌手名も発表年も伝えていない。渡したのは歌詞の本文だけである。有名な曲だと背景知識が判断に混ざるためで、これは「曲の文脈を無視すれば」という研究の前提を、そのまま手続きにしたものでもある。
出発点は951曲である。内訳は、1970年から2024年までの19の時点(前半は5年おき、2000年以降は2年おき)の各上位25曲で475曲、ボーカロイド・アニメ主題歌・女性アイドルの3ジャンルで463曲、チャート出典の切り替えを調べるための追加分が25曲。重複を除いて951曲になる。
歌詞が手に入らなかった曲と、恋愛が主題でないと判定された曲を落とす。恋愛主題かどうかの判定も言語モデルが行い、別系統のモデルと突き合わせて一致度0.877を確認している(無作為に選んだ150曲について)。これはかなりよく一致している部類である。
最後の477曲から321曲への絞り込みだけは、性質が違う。これは落としたのではなく採ったもので、各年・各ジャンルから順位の高いものを決まった数だけ選んでいる。年やジャンルによって曲数が偏らないようにするためである。
321曲に24体だから、判定は7,704件。1件が「ある1曲に対する、ある1体の回答」で、その中に二つの読みそれぞれの段階が入っている。
ここでいう「空白」は、関係一般が書かれていない量ではなく、この二つの読みを妨げる要素が見当たらないという限定的な意味である。
7,704件の判定の分布である。棒にカーソルを合わせると件数が出る。
判定の分布
曲を単位にすると、24体の過半数が段階3以上と判定した曲は、兄と妹の読みで67.9%、女性ふたりの読みで77.9%だった。どちらの読みについても、多くの曲がそれを拒まないということである。
なお、同じ1曲が両方を同時に拒まない割合は、この二つの数字からは出せない。あくまで軸ごとの割合である。
一方で、その読みを積極的に支える要素があった判定は、どちらも1割に満たない。歌詞は関係を指定しないが、指定しないことによって特定の読みを招くわけでもない。空白は大きく、そして中立である。
これは全期間をまとめた数字である。年ごとに見ると別の動きが出てくるのだが、それは結果4で扱う。
またこの67.9%と77.9%という水準自体、判定規則の決め方によって大きく動く。どれくらい動くかは結果5で見る。
24体には、判定の根拠にした歌詞の一節を書かせた。実際に引用された表現を集計すると、二つの読みを止めるものがまったく別の言葉だとわかる。
「成り立たない」と判定させた表現(引用が多かった順)
出会いの場面(一緒に育った二人には存在しない)と、相手の家族が自分と別であることを示す表現。
性別が表に出る語。
実際、二つの読みやすさの連動の強さは0.211と弱かった。「関係が書かれていない度合い」という単一の量が背後にある、とまでは言えなかった。
321曲を二つの軸に置く
ボーカロイド曲がいちばん高く、女性アイドル曲がいちばん低い。
ジャンル別
予想では、ボーカロイド曲は歌う主体に身体がないぶん性別を書く必要が薄く、だから読みが通りやすいはずだった。この予想は二段構えになっている。判定値の順序と、その原因とされた「性別を示す語の少なさ」の順序である。
判定値の順序は上の図のとおり、予想と一致した。では原因のほうはどうか。性別を示す語を含む曲の割合を数えると、こうなる。
ボーカロイド曲とアニメ主題歌が並んで最も少なく、女性アイドル曲が最も多い。原因として想定した語の割合も、判定値と同じ順序だった。ただしこれは順序が揃ったということであって、語の割合が判定値の差を生んでいると確かめたわけではない。
ただし該当する曲は、ボーカロイドとアニメ主題歌で各6曲、女性アイドルで11曲しかない(一般ポップは32曲)。この数では、ジャンル間の順序が本当なのか偶然なのかを見分けられない。
数曲しかないとき、その割合は「たまたま」で簡単に上下する。そこで、真の値がどのあたりにありそうかを幅で示す。これを推定の幅と呼ぶことにする。ボーカロイドは6〜26%、女性アイドルは17〜44%で、二つの幅は重なっている。重なっているあいだは、どちらが上かを決められない。
なお、この結論は後述する点検の途中で一度ひっくり返っている。最初に使った語彙のリストが狭すぎて、実際に判定を動かしていた「男」を含む表現を取りこぼしていた。詳しくは最後の節で。
ここがこの研究のいちばん苦い部分である。
当初の見立てはこうだった。歌詞から性別を示す語が減ってきたから、女性ふたりの読みが通りやすくなったのだろう、と。歌詞の本文を直接数えると、この見立ては前提から崩れた。
その語を含む曲の割合
190曲を通して数えると、「彼氏」は0曲、「俺」は5.3%(10曲)、「異性」は0.5%(1曲)である。図で「俺」が2度だけ30%まで跳ねているのは、その年に3曲あったという意味にすぎない。これらの語は1970年の時点ですでに稀で、減る余地がなかった。減少を仮定していたこと自体が間違いだった。
ここで使った語のリストは、結果3で見たものと同じである。結果3では、狭いリスト(8語)と、判定の根拠から語を足した広いリスト(13語、「男」などを含む)の両方で数えた。時代の側も両方で数えてある。広いリストにすると出現率は10.5%から16.8%へ上がるが、年との関係は同じく見られない(狭いリストで−0.04、広いリストで−0.05、どちらも「関係があるとは言えない」水準)。リストを広げても、この結論は変わらない。
代わりに増えていたのは一人称の「僕」である。1970年から1990年の平均10.0%に対し、2000年以降は58.5%。ただし年ごとの振れが大きく、20%まで下がる年もある。そして「僕」は女性の歌い手も広く使うので、この研究の規則では性別を示す語として扱っていない。語彙は確かに変わったが、その変化はこの研究が測る空白の大きさを動かさなかった。
ここは前の節と紛らわしいので整理しておく。同じ「性別を示す語」という物差しが、ジャンル間の差は説明できたが、時代の変化は説明しなかった。片方で使えた道具が、もう片方では使えなかったということである。
平均で見ると、どちらの読みも1970年から2024年までほぼ平らである。しかし分布の上端は動いていた。次の図で「段階の内訳で見る」に切り替えると、女性ふたりの読みを積極的に支える判定(段階4以上)が、1970年の4.6%から2024年の24.2%へ増えているのが見える。
ところが、別の要因が重なっていた。チャートの出典が2018年から切り替わっている。1970年から2016年まではオリコン、2018年以降はBillboard。そして上昇を担っていたのは、まさにその後半4時点だった。
つまり、増加が本当に時代のせいなのか、それとも出典が変わったせいなのかが分からない。こういう状態を交絡という。
そこで容疑者を一つずつ外して計算し直した。ひとつは出典を揃える(オリコン期の15時点だけで計算する)。もうひとつは採用曲の順位を揃える(年が下るほど深い順位から曲を採っていたので、上位14位以内に限る)。外しても増加が残れば、それは犯人ではない。
条件を揃えると、上端の増加は残るか
結果は割れた。順位を揃えても増加は残るが、出典を揃えると「増加があるとは言えない」に変わる。
図の丸が推定値、横棒が推定の幅である。出典を揃えた場合、推定値は1.15倍で1を上回ったままだが、幅が0.96から1.38まで広がって1をまたぐ。「10年で0.96倍(つまり少し減る)」の可能性も残っている、ということなので、増加だと言い切れない。
生の割合で見ても同じ向きである。オリコン期だけで見ると末年の値は3.3%で、初年の4.6%を下回る。推定値が1を上回るのは途中の年の動きを含めた結果で、両端だけを見ると増えていない。
つまり、順位のずれは増加を作り出してはいなかったが、出典の切り替えについては同じことが言えない。そして年と出典は完全に重なっているので、この標本では両者を分けられない。
そこで論文は、時代変遷について「答えを出せなかった」と書いている。単一の出典で55年間を覆う資料があれば答えられる、という形で課題を残した。
判定には規則がある。たとえば一人称の「僕」は、女性の歌い手も広く使うので、性別を示す語として扱わないと決めた。この判断ひとつを裏返すと、結果1で見た数字(67.9%と77.9%)のうち、女性ふたりの読みの側が大きく動く。ボタンで切り替えられる。
規則を変えると
「私」も試したのは、逆向きの検証のためである。「僕」は年とともにはっきり増えている語で、「私」はやや減る向き(こちらは傾向があるとは言い切れない)。増える語で判定を止めれば時代の増加は弱まり、そうでない語で止めれば強まる。両方試すことで、規則の選び方が結果をどちら向きにも動かせることが分かる。
これは研究の欠陥というより、この種の測定が背負っている性質である。だから論文は判定規則の全文を載せ、規則を変えたときに数字がどう動くかも併せて報告している。読者が依存の程度を自分で確かめられるようにするためである。
24体には3種類の「聴き手像」を割り当てた。雰囲気で受け取る人、物語の人間関係を読み慣れた人、言葉を精読して根拠のない解釈を警戒する人。この性格づけは、判定をどれくらい変えただろうか。
判定のばらつきに占める割合(兄と妹の読み)
4本の棒は、判定役どうしの違いのうち、次の4つの要因が占める分である。これで全部が尽きるわけではなく、残りは同じ判定役が曲によって揺れる分になる。
目立つのは上の2本で、与えた性格づけと、考えさせる手間は、ほとんど効いていない。性格づけは語り口を変えたが、判断は変えなかったように見える。
数字そのものはどれも小さい。いちばん長い個体差でも5%、聴き手像は0.1%である。判定のばらつきの大半は、これら4つの要因では説明できない部分に入る。
そのうえで奇妙なのは、いちばん長い棒が個体差だということである。同じモデル・同じ設定で作った2体のあいだの食い違いが、違うモデル間の食い違いより大きい。言語モデルの判定には、条件を揃えても消えない揺れがある。この研究が1体ではなく24体を使い、常に集計として扱っているのは、この揺れを平すためでもある。
基盤モデルの寄与は聴き手像の30倍以上あるが、この比はそのまま受け取れない。理由が二つある。ひとつは、4種類のモデルのうち1つだけが他と大きく離れており、その1つを外すと残り3つのモデル間の差は聴き手像の差を下回ること。もうひとつは、上の図が兄と妹の読みだけを描いていることである。女性ふたりの読みでは、モデルの寄与も小さくなり、比は2倍程度まで縮む。
つまり「性格づけよりモデルのほうが効く」とは言えない。言えるのは、外れた1つのモデルの癖が、兄と妹の読みにおいて性格づけの効果よりずっと大きかったということである。
なお、性格づけが効かなかったことも「差がない」ことの証明ではない。「この規模では差を見つけられなかった」というだけである。
この論文は、書き上げたあと3回の点検を受けている。点検役には著者を伏せ、毎回まっさらな状態から読ませた。結果として、当初の発見はほとんど残らなかった。
点検役も言語モデルである。学会誌の査読を通ったという意味ではない。統計の手続きと論理の運びを敵対的に疑わせる役割を与え、その指摘を反映する作業を3回繰り返した、という手続きである。
同じ曲に24件の判定があることを無視した計算をしていた。正しく直すと、兄と妹の読みの時代変化は「あるとは言えない」に変わった。手法どうしの食い違いを「計算の都合」と説明していたのも誤りで、実際には分布が両端に広がる現象だった。
「ジャンルと年代の交絡には対処しているのに、時代の効果には同じ処理をしていない」と指摘され、出典を揃えて計算し直したところ、女性ふたりの読みの時代変化も「増加があるとは言えない」に変わった。「聴き手像はモデルの30分の1」も、比べる相手が1モデルの外れ値だと判明した。
中心の数字にだけ規則の検証を掛けていないと指摘され、掛けたところ77.9%が40.5%まで動いた。一方、ジャンルの原因を否定していたのはこちらの誤りだった。使っていた語彙リストが、実際に判定を動かした表現の37%しか覆っていなかった。直すと、予想どおりの順序が現れた。
残ったのは二つである。ひとつは分布の形——判定が段階3に大きく偏り、積極的に支える段階は1割に満たないという形。ただしその割合の水準は、結果5で見たとおり判定規則に左右される。
もうひとつは否定的な知見である。時代変化について立てた二つの仮説は、どちらも想定した仕組みが成り立たなかった。「性別を示す語が減った」も「出会いを描く叙述が減った」も、実際には減っていなかった。仮説が外れたというより、仮説の前提が事実と違っていた。
| 問い | 答え |
|---|---|
| 二つの読みをどれくらい許すか | 過半数基準で67.9%と77.9%。ただし判定規則を変えると大きく動く |
| 時代とともに変わったか | 答えを出せなかった。出典の切り替えと分けられない |
| ジャンルで違うか | この標本ではボーカロイド曲が最も高く、原因の順序も予想どおり。ただし曲数が少なく、順序は確定できない |
| 二つの読みは同じ原因か | 連動は弱い。単一の量としては扱えない |
| 聴き手像は効くか | 効いた形跡がない。ただし「差がない」ことの証明ではない |
この測定は歌詞の本文だけを見ている。旋律も、歌唱も、実際に歌っている歌手の性別も、判定役には与えていない。実際に曲を聴くときはそれらが解釈を強く方向づけるから、67.9%と77.9%という数字は、歌詞以外の手がかりをすべて取り払った条件での上限だと考えるのが正しい。手がかりを戻せば、二つの読みを拒む曲は増える。